「海神社例大祭」が執り行われました

本日9月2日、秋晴れのとても気持ちの良い天気の中、寿都町磯谷地区にある「海神社」例大祭が執り行われました。

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また、8年ぶりとなる円空仏二体のご開帳も行われ、一般公開されました。

佐藤さんより-2

≪円空仏とは…僧円空は江戸時代の修行僧で、行脚中に生涯十二万体の仏像を刻み、仏教により和を求め、修行と祈祷により人心の安らぎを求めたそうです。現在発見されたのは全国で三千体といわれており、このうちの二体が寿都町磯谷の海神社に秘仏として祀られていたのです。社伝によると、文化4年のある日、漁師が尻別川で漂流の木像二体を拾いあげてみると一体の背に「いそやのたけ寛文6年丙午8月11日初登浦山円空」とあり、もう一体の背には「らいねんの山」とあり、二体あわせて能津登岬の洞窟内に奉斎した。その後、地元住民の豊漁祈願のため協議の結果、天保2年社殿を建立し奉遷する。爾来海神と称して奉祀してきた……とあります。≫

今年平成30年は平成最後の年、寿都町開基350年…など様々な節目の年であることから、円空仏のご開帳が行われ、次はいつ拝観できるかわからないとのこと。とても貴重な瞬間に立ち会わせていただきました。

『海神社の円空の仏像』というお話が「寿都民話デジタル絵本」でご覧いただけますので、ご興味のある方はぜひご覧ください!
寿都民話デジタル絵本URL → http://www.town.suttu.lg.jp/e-hon/

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【住所】
寿都町字磯谷町能津登4番地

【御祭神】
豊玉彦命・豊玉比売命・倉稲魂命

【由緒】
文化4年のある日、漁師が尻別川で漂流の木像二体を拾いあげてみると一体の背に「いそやのたけ寛文6年丙午8月11日初登浦山円空」とあり、もう一体の背には「らいねんの山」とあり、二体あわせて能津登岬の洞窟内に奉斎した。その後、地元住民の豊漁祈願のため協議の結果、天保2年社殿を建立し奉遷する。爾来海神と称して奉祀してきた。明治9年10月に村社に列せられる。同22年1月18日能津登村稲荷神社の合祀が許可される。明治33年2月8日社殿の改築を出願し、同年3月16日許可を得て5月18日に竣功する。道内では数少ない円空作の木像が現存する神社である。

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